だから宝くじは当たらない

鬼塚祐一

2009年08月03日 16:21

今自分が手にしている収入よりもより多くのお金を手にしたい
と願っている人は少なくないはずです。

手にするお金が増えればそれだけ自由に使える時間を得ることも可能です。

国立博物館の阿修羅展に比較的人が少ない平日の午前中にいくことができるし、
上杉謙信に関する本を読む事だってできる。

その気になればエヴァンゲリヲン新劇場版:破と真夏のオリオンと
20世紀少年~最終章~僕らの旗をビールを片手に3本立て続けに見ることだってできます。

しかしこのような生活は自分の能力や時間を切り売りしてその対価を得ている
会社勤めの人間ではそうすんなりと送ることはできません。


自分を取り巻く環境にうんざりはしているが仕方なく従っている
という人が100人いるとしたら、

「宝くじが当たると良いな」

という願望を抱いている人の割合は決して少なくないと思います。


ジャンボ宝くじが発売されるたびに、
唐津にある宝当神社に当選祈願に集まる大勢の人の群れが
ニュース映像に映し出されます。

もしかしたら私が思っている以上に当選願望を持った方は多いのかもしれません。

しかしその願望が叶えられることはまずありません。


なぜ神様に祈っても願望は叶わないのか?


それは、宝くじに当たることが心からの願望ではないからです。

心からの願望でなければ叶うことはありません。


多くの人は宝くじに当たることではなく当選後にもたらされる
大金を手にすることを望んでいるからです。

さらにそのお金で得られる物やサービスや時間や余裕を
手に入れることこそが心からの願望ではないでしょうか?

もしかしたらそれさえも本当の願望ではないかもしれません。

その答えは徹底的に自分と向き合ったその先にあるのだと思います。


あるいはもうすでに願望は叶っているのかもしれません。

自分を取り巻く環境にうんざりはしているが仕方なく従っているのは
組織に属すことで得られる社会的な保障、安定した収入や世間体を
失うことが怖いからではないでしょうか?

つまり安定こそが心からの願望だとしたら。

宝くじが当たって大金を手にすることによってもたらされる
何らかのトラブルや心理的不安を抱えることは安定を失うことになります。


だから宝くじは当たらない、願望は叶っているのだから
と言えるかもしれません。


それでは、また。