2009年08月10日
熱心で前向きな言葉が重ねられれば重ねられるほど
ブログやmixiを見ていて、感謝、win-win、成功者、気づき、シェアなどの
キーワードが所狭しとぎっしり詰まっている場面に遭遇すると思わずたじろいでしまう、
ファイナンシャルプランナーの鬼塚です。
このようなキーワードはビジネス書や自己啓発系の本でよく登場します。
私もこの手の本を熱心に読んでいた時期がありましたので、
何となく一種の知的ファッションとしてそれらのキーワードを
使用していたこともありますが、同時にしっくりとこない感覚もありました。
しっくりとこない感覚を持ちつつもそれらを文章中に用いていたのは、
そのそきの私は所属していた組織にたいしてとにかく嫌気がさしていて、
早くその環境から抜け出したいという焦りがあったからです。
だからその言葉たちが私を良い方向に導いてくれると願わずにはいられなかったのです。
しかしそんな表面的な方法では自らの意識に十分な根を下ろしませんから、
一回雨が降ったらあっさりとどこかに流されてしまいます。
結局目先のことに一喜一憂しながら同じところを
グルグルと回り続けていました。
「感謝、win-win、成功者、気づき、シェア」というキーワードが
散りばめられた文章を見ると、その頃の自分が思い出されます。
きっと現状に不満があり何事においても
上手くいっていないのかもしれないと思うことがあります。
熱心で前向きな言葉が重ねられれば重ねられるほど、
その背景にある暗い何かを感じずにはいられません。
今ではなぜそれらの言葉がしっくりこなかったのか、その理由がある程度分かります。
「感謝」
人はそう簡単に他人に感謝できるものではありません。それは感謝の意味を考えれば分かります。
そのうえで感謝の意を表現しているのであればもちろん素晴らしいことだと思います。
しかし安易に感謝という言葉を多用すると、
その言葉の裏を読み取ろうとする人が少なからずいるはずです。
それはあまり良い影響を与えないように思えます。
「win-win」
考え方としてはもちろん悪くはありませんが、
どちらかというと近江商人の「三方よし」のほうが私の好みに合っています。
「気づき」
それくらい気づいておかないといけないでしょう、大人なんだから。
と思うことがときどきあります。
「成功者」「シェア」
自己啓発本の受け売りという感じがします。それでは人を惹き付けることはできません。
文章というものは見る人が見れば書き手のこれまでの生き方まで想像することができます。
もちろん私にはそれを見抜くほどの力はまだまだありません。
しかし現状に不満や不安を抱えている人の文書は
何となく見分けることができるようになってきました。
たとえば誤字脱字が多い、一貫性がない、喜怒哀楽が激しい、否定的な表現が多い、
といったものが挙げられます。
これはあくまでも個人的な種類のイメージです。
私も良い文章が書けるよう日々をしっかりと生きていきたいと思います。
それでは、また。
キーワードが所狭しとぎっしり詰まっている場面に遭遇すると思わずたじろいでしまう、
ファイナンシャルプランナーの鬼塚です。
このようなキーワードはビジネス書や自己啓発系の本でよく登場します。
私もこの手の本を熱心に読んでいた時期がありましたので、
何となく一種の知的ファッションとしてそれらのキーワードを
使用していたこともありますが、同時にしっくりとこない感覚もありました。
しっくりとこない感覚を持ちつつもそれらを文章中に用いていたのは、
そのそきの私は所属していた組織にたいしてとにかく嫌気がさしていて、
早くその環境から抜け出したいという焦りがあったからです。
だからその言葉たちが私を良い方向に導いてくれると願わずにはいられなかったのです。
しかしそんな表面的な方法では自らの意識に十分な根を下ろしませんから、
一回雨が降ったらあっさりとどこかに流されてしまいます。
結局目先のことに一喜一憂しながら同じところを
グルグルと回り続けていました。
「感謝、win-win、成功者、気づき、シェア」というキーワードが
散りばめられた文章を見ると、その頃の自分が思い出されます。
きっと現状に不満があり何事においても
上手くいっていないのかもしれないと思うことがあります。
熱心で前向きな言葉が重ねられれば重ねられるほど、
その背景にある暗い何かを感じずにはいられません。
今ではなぜそれらの言葉がしっくりこなかったのか、その理由がある程度分かります。
「感謝」
人はそう簡単に他人に感謝できるものではありません。それは感謝の意味を考えれば分かります。
そのうえで感謝の意を表現しているのであればもちろん素晴らしいことだと思います。
しかし安易に感謝という言葉を多用すると、
その言葉の裏を読み取ろうとする人が少なからずいるはずです。
それはあまり良い影響を与えないように思えます。
「win-win」
考え方としてはもちろん悪くはありませんが、
どちらかというと近江商人の「三方よし」のほうが私の好みに合っています。
「気づき」
それくらい気づいておかないといけないでしょう、大人なんだから。
と思うことがときどきあります。
「成功者」「シェア」
自己啓発本の受け売りという感じがします。それでは人を惹き付けることはできません。
文章というものは見る人が見れば書き手のこれまでの生き方まで想像することができます。
もちろん私にはそれを見抜くほどの力はまだまだありません。
しかし現状に不満や不安を抱えている人の文書は
何となく見分けることができるようになってきました。
たとえば誤字脱字が多い、一貫性がない、喜怒哀楽が激しい、否定的な表現が多い、
といったものが挙げられます。
これはあくまでも個人的な種類のイメージです。
私も良い文章が書けるよう日々をしっかりと生きていきたいと思います。
それでは、また。
Posted by 鬼塚祐一 at 19:01│Comments(0)