2009年05月12日
恥を忍んでお話しすると
2週間前に知覧に足を運んで以来、
生と死についてより真剣に考えるようになった、
ファイナンシャルプランナーの鬼塚です。
恥を忍んでお話しすると、
私は特攻というものにたいして漠然としたイメージしか持っておらず、
「怖い」という感情を頂いていました。
そして、この怖さを私はこれまでずっと避けてきました。
これは特攻だけに限りません。
小学生の頃、戦争に関するドラマや映画は絶対に観ないようにしていました。
図書館にあった唯一の漫画、
「はだしのゲン」さえ私には読むことが出来ませんでした。
というのは、とにかく怖かったからです。
友人たちは文字ばかりの本がおもしろくないということで、
こぞって「はだしのゲン」を読んでいましたが。
そんな私ですが、どうしても戦争に関する映画を観ざるを得ないときがありました。
それは、夏休み期間中の終戦記念日にある出校日です。
この日は必ず戦争に関する映画や物語を全校生徒で観て、
平和のありがたさを学ぶという時間を過ごします。
こんな日はもうとにかく怖くて一人で眠ることが出来ませんでしたので、
両親の布団にもぐりこんで心を落ち着かせて寝ていました。
このような小学生だった私も年齢を重ねるごとに、
死と向き合うようになってきました。
特に20歳前後のときはものすごく考えましたので、
かなりきつかったです。
このときの私を救ってくれたのは、村上春樹さんの作品でした。
「死は生の対極ではなく、死は生に内包されている」
という村上さんの言葉が当時の私の死に対する怖さを和らげてくれました。
こうして徐々に死への恐怖と向き合いだしたわけですが、
20代後半になると、死と向き合うためには、
これまで私が避けてきた戦争や特攻に抱いている怖いというイメージ、
この怖さと向き合うことがとても大事なことではないかと感じ始めました。
こうして考えてみると、知覧に訪れたことは自然な流れであったと思います。
そして、実際に知覧に行った後に私はこのように感じました。
「怖いと思うことは特攻隊の方に対して何て失礼なことなんだろう」
怖いという感情は何も知らないことから生まれる。
だから、事実をきちんと知ることがとても大切なことだと思います。
知覧特攻平和会館の展示物で印象に残った言葉の中のひとつに、
「必死」というものがあります。
普段何気なく「必死にがんばれば何とかなる」といった感じで使われている言葉ですが、
この言葉の意味をよくよく考えてみれば、
「必ず死ぬ」という意味なんです。
特攻隊の方たちは出撃すれば、即ちそれは必ず死ぬということです。
この言葉の意味を理解した今、
私はこれから必死という言葉を軽々しく使うことは無いでしょう。
知覧を訪れる前に感じていた怖いという感情が、
今では現在の自分のあり方を省みてしっかりと生きなければならない
という前向きな感情に変化しています。
この話はもう少しだけ続けたいと思いますが、
長くなりましたので続きは次回に。
それでは、また。
生と死についてより真剣に考えるようになった、
ファイナンシャルプランナーの鬼塚です。
恥を忍んでお話しすると、
私は特攻というものにたいして漠然としたイメージしか持っておらず、
「怖い」という感情を頂いていました。
そして、この怖さを私はこれまでずっと避けてきました。
これは特攻だけに限りません。
小学生の頃、戦争に関するドラマや映画は絶対に観ないようにしていました。
図書館にあった唯一の漫画、
「はだしのゲン」さえ私には読むことが出来ませんでした。
というのは、とにかく怖かったからです。
友人たちは文字ばかりの本がおもしろくないということで、
こぞって「はだしのゲン」を読んでいましたが。
そんな私ですが、どうしても戦争に関する映画を観ざるを得ないときがありました。
それは、夏休み期間中の終戦記念日にある出校日です。
この日は必ず戦争に関する映画や物語を全校生徒で観て、
平和のありがたさを学ぶという時間を過ごします。
こんな日はもうとにかく怖くて一人で眠ることが出来ませんでしたので、
両親の布団にもぐりこんで心を落ち着かせて寝ていました。
このような小学生だった私も年齢を重ねるごとに、
死と向き合うようになってきました。
特に20歳前後のときはものすごく考えましたので、
かなりきつかったです。
このときの私を救ってくれたのは、村上春樹さんの作品でした。
「死は生の対極ではなく、死は生に内包されている」
という村上さんの言葉が当時の私の死に対する怖さを和らげてくれました。
こうして徐々に死への恐怖と向き合いだしたわけですが、
20代後半になると、死と向き合うためには、
これまで私が避けてきた戦争や特攻に抱いている怖いというイメージ、
この怖さと向き合うことがとても大事なことではないかと感じ始めました。
こうして考えてみると、知覧に訪れたことは自然な流れであったと思います。
そして、実際に知覧に行った後に私はこのように感じました。
「怖いと思うことは特攻隊の方に対して何て失礼なことなんだろう」
怖いという感情は何も知らないことから生まれる。
だから、事実をきちんと知ることがとても大切なことだと思います。
知覧特攻平和会館の展示物で印象に残った言葉の中のひとつに、
「必死」というものがあります。
普段何気なく「必死にがんばれば何とかなる」といった感じで使われている言葉ですが、
この言葉の意味をよくよく考えてみれば、
「必ず死ぬ」という意味なんです。
特攻隊の方たちは出撃すれば、即ちそれは必ず死ぬということです。
この言葉の意味を理解した今、
私はこれから必死という言葉を軽々しく使うことは無いでしょう。
知覧を訪れる前に感じていた怖いという感情が、
今では現在の自分のあり方を省みてしっかりと生きなければならない
という前向きな感情に変化しています。
この話はもう少しだけ続けたいと思いますが、
長くなりましたので続きは次回に。
それでは、また。
Posted by 鬼塚祐一 at 12:10│Comments(0)